京急新1000形フルノッチ

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京都鉄道博物館の車両のすべて その1

文・写真 ● 洛星中学・高等学校鉄道研究会 会誌班
特別協力 ● 京都鉄道博物館の皆様

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はじめに

 京都鉄道博物館では新幹線から蒸気機関車まで53両もの貴重な車両が展示されています。実際の営業線ともつながっている車両工場エリアでは実際に走っている車両等も展示することが可能な仕組みとなっています。また、実際のSLに引っ張ってもらえるSLスチーム号の運行も行っています。それらに加えて展示においても、見るだけではなく実際に体験できるものも数多くあり、安全の仕組みや指定券の発券の仕方など普段から目にするものからあまり目にしない裏のものまで、鉄道の全ての仕組みが大変分かる展示となっています。ここでは京都鉄道博物館に展示されている53両すべての紹介を行っていきます。1度京都鉄道博物館に訪れたことのある方はもちろん、まだ行ったことがないという方もこの会誌をもって京都鉄道博物館に是非訪れてみてください。なお、ここでは取材時(2016年7月末)に展示されていたものを紹介します。なお展示車両の入れ替えなどがある場合もあります。あらかじめご了承ください。
 この会誌では、公式ガイドブックなどより写真を大きく掲載している関係上、ページ数が多めとなっています。この記事の一番最後の部分に展示車両一覧表を掲載していますのであわせてご覧ください。なお、車両名横の文字番号は当会誌での通し番号となります。

Web版制作にあたって

 実際の製本版「FULLNOTCH No.5」においてはこの記事「京都鉄道博物館の車両のすべて」は大変ページ数が多く、Web版編集作業が1つのページでは困難と判断し、またご覧いただく方の見やすさなども考えて、4つのページに区切っております。その1はプロムナード、その2は本館/車両工場、その3はトワイライトプラザ、その4は扇形車庫とさせていただきました。
 ご覧いただく方にはページの移動等、大変ご迷惑をおかけしますがご理解、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

α プロムナード編

プロムナード

 このプロムナードエリアはエントランスホールから入られたお客様が必ず最初に入るエリアです。本館まで約100mに渡って展示されています。このエリアではプラットホームを意識した構造となっており、12両の車両が編成の形で展示されています。車両は交通科学博物館に展示されていたものが中心となっています。

C62形26号機[車両No.01]

●製造場所:川崎車輌  ●製 造 年:1948年

C62形26号機

 現存する5両のC62形のなかでこのC62形26号機は唯一川崎車輛で製造された車両です。この機関車のボイラーはD52形46号機のものを転用しています。愛知や宮原、下関と東海道・山陽本線を中心に特急「つばめ」や「はと」などの牽引機として活躍し、1966年に広島県の糸崎にて廃車となり、同年から2014年に閉館した交通科学博物館に展示され、同博物館の閉館に伴ってこの京都鉄道博物館に移設展示されています。ご担当してくださった方によると、交通科学博物館の時に比べて人気が格段と上がっているみたいです。この列車の場所がエントランスホールから入って一番最初にあるからでしょうか??

マロネフ59形1号車[車両No.02]

●製造場所:鷹取工場  ●製 造 年:1938年

マロネフ59形1号車

 この車両は何回も形式変更されているのが特徴で、当初は皇族や貴賓客用のマイロネフ37290形として製造され、1人用個室寝台と日本初のプルマン式が採用されました。1941年にスイロネフ38形、戦後は進駐軍によって接収され、スイロネ37形、返還後にマロネフ38形、最終的にマロネフ59形となりました。1961年に廃車となり、交通科学博物館に展 この車両は何回も形式変更されているのが特徴で、当初は皇族や貴賓客用のマイロネフ37290形として製造され、1人用個室寝台と日本初のプルマン式が採用されました。1941年にスイロネフ38形、戦後は進駐軍によって接収され、スイロネ37形、返還後にマロネフ38形、最終的にマロネフ59形となりました。1961年に廃車となり、交通科学博物館に展示されました。
※プルマン式とは…座席車と同じく中央に通路を配置し、寝台をレールと平行に配置した形式の中で、幅の広い寝台を並べ、昼間は寝台をたたんでボックスシートにする方式。日本ではA寝台に多く使われました。

スシ28形301号車[車両No.03]

●製造場所:日本車輌製造  ●製 造 年:1933年

スシ28形301号車

 この車両も先ほど紹介したマロネフ59形1号車と同様に何回も車両番号が変更されているのが特徴で、初めは食堂と2等座席でスロシ38000形、スロシ38形、食堂車の廃止に伴いマハシ49形、スハシ38形、そして最終的にスハ28形となりました。
 実はこの車両、交通科学博物館で後程紹介するナシ20形24号車以前に館内食堂として利用されていました。館内食堂として利用されるために、車内の座席を撤去し、全室食堂車にしたために、今つけられている「スシ28形301号車」は一度廃車になったあとにつけられた車両番号という少々珍しいケースの車両となっています。

クハ86形1号車[車両No.04]

●製造場所:日立製作所  ●製 造 年:1950年  ●備考:準鉄道記念物

クハ86形1号車

 次に紹介するモハ80系の先頭車です。これまでにあった電車は先頭車にモーターを搭載していましたが、このクハ86系からは先頭車にモーターを装備していません。この車両の特徴は「湘南形」と呼ばれるデザインで、現在関西でも湖西線で1編成だけこの「湘南形」の塗装をして運行しています。茶色1色という今までの常識を破ったこの80系は600両以上が製造され、関東や関西の大都市圏のみならず、地方でも活躍した後、1983年に80系電車は全車が引退しました。
 この車両は1次車ということで、前面の窓の数が3枚となっていますが、2次車以降は視認性の向上などの理由で窓の数が2枚となっています

モハ86形1号車[車両No.05]

●製造場所:日立製作所  ●製 造 年:1950年  ●備考:準鉄道記念物

モハ86形1号車

 先ほど、04にて紹介したクハ86系1号車の中間車です。先頭車にはモーターを搭載していませんので、この中間車にモーターが搭載されています。
 戦後に製造されたこの車両ですが、基本性能としての技術は戦前を踏襲しつつ、モーターの出力の向上を含めて、新しい技術を多く採り入れ、長距離運転や高速運転に対応し、最大16両編成での運転が可能となりました。

0系21形1号車[車両No.06]

●製造場所:日本車輛  ●製 造 年:1964年  ●備考:鉄道記念物

0系21形1号車

 誰もが知っているであろう日本で最初の新幹線車両である0系です。そして、その1編成目の車両がここ京都に展示されています。どのような電車、列車であろうとも同じ形式のものであっても少し違う点があることが多く、例えば行先等が表示されるところが、現在のような電光板や幕式ではなくプレートをはめ込む形になっています。しかしその後、高速運転時に落下等の危険性が考えられることなどから、プレートをはめ込む方式はこのあとの新幹線には採用されていません。
 車内に目を移すと、座席は3列+2列の転換式クロスシートが採用されていて、座席の並びだけを見ると違いが判らないかもしれませんが、現在のような回転式のリクライニングシートではなく、新快速電車などで使われている転換式クロスシートが採用されています。シートが連動して動くため普通車ではリクライニングができないようなシートになっています。時代の経過とともにサービスが向上したということが分かっていただけると思います。
 0系全体でみると、1964年から1986年まで改良を重ね、なんと3,216両が製造されました。東海道・山陽新幹線のひかりやこだまで活躍していましたが、300系や500系などといった後継の新幹線が登場していく中で、スピードの差が出始め、ダイヤに支障をきたすようになり、1999年に東海道新幹線から撤退し、その後もJR西日本管内の山陽新幹線でこだまとして運転されていましたが、老朽化やN700系の登場、500系でのこだま運転の開始などで2008年に多くのファンに惜しまれつつも引退しました。

0系16形1号車[車両No.07]

●製造場所:日本車輛  ●製 造 年:1964年  ●備考:鉄道記念物

0系16形1号車

 E5系のグランクラスが登場するまで、新幹線の最高クラスであったグリーン車。その初代がこの16形1号車です。
 先ほどの21形1号車などは転換式クロスシートを採用しましたが、グリーン車は今や新幹線や特急で当たり前の回転式リクライニングシートが採用されました。シートピッチは1,160mmでこれは現在の新幹線のグリーン車にも受け継がれています。今ではビジネス等でも利用されるグリーン車ですが、開業当時は夢のまた夢の座席であったのでしょう。

0系35形1号車[車両No.08]

●製造場所:日本車輛  ●製 造 年:1964年  ●備考:鉄道記念物

0系35形1号車

 今ではほとんどの日本の鉄道から姿を消したこの35形1号車が新幹線初の食堂車です。(この車両はビュッフェ車といいます)このビュッフェは海側に調理場、山側にシートが設けられており、備え付けられていた速度計とともに富士山などの景色を楽しみながら、食事を楽しむことができました。
 この車両にはビュッフェの他に、売店や車内販売準備室、電話室や洗面所が設置されています。

0系22形1号車[車両No.09]

●製造場所:日本車輛  ●製 造 年:1964年  ●備考:鉄道記念物

0系22形1号車

 先に紹介した21形1号車の反対側(東京方面)の先頭車がこの22形1号車です。反対側の先頭車両との違いはそこまで多くなく、一番の違いは屋根の形が違うという点です。21形は無線アンテナを収納するために屋根のカバーが一段高くなっています。
 次回、京都鉄道博物館に行かれる際には「屋根の形」に注目して、この0系新幹線を見てみてください!

クハ103形1号車[車両No.10]

●製造場所:日本車輛  ●製 造 年:1964年

クハ103形1号車

 大阪に行くとお馴染みのオレンジ色の電車。そのオレンジ一色の電車もあと数年すると姿を消します。
 このクハ103形1号車はもともと東京の山手線でデビューしましたが、関東圏での新車のデビューなどにより関西に渡り、大阪環状線や和歌山方面へ行く阪和線で活躍し、2011年に引退しました。
 103系は高度経済成長期に車両の近代化と量産化を目的として、当時走っていた101系電車をベースに経済性をより追求した車両です。生産が終了する1984年までになんと3,447両が生産され、東京や大阪といった大都市圏で通勤電車として活躍し、関西では環状線や奈良線、阪和線、大和路線で今日も活躍しています。
 この車両は車内を見学することができ、その内部はまるで現役さながらです。

クハ103形 内部

DD54形33号機[車両No.11]

●製造場所:三菱重工業  ●製 造 年:1971年

DD54形33号機

 DD54形には西ドイツによるライセンス供給によって開発された高出力エンジンなどを搭載しています。この車両は特急「出雲」など主に山陰地方で活躍しました。
 この機関車は性能的には大変優れた車両でありますが、この機関車独特のものが多く、整備などを複雑なものにし、また西ドイツとの連携不備などにより故障が多発し、最初の機関車が完成して12年ほどで引退する形となってしまいました。DD54形の総生産数は40両で、大変希少価値のなる車両となっています。

ナシ20形24号車[車両No.12]

●製造場所:日本車輛  ●製 造 年:1970年

ナシ20形24号車

 食堂車がほとんどない中、ちょっとでも食堂車の気分を味わいたいという方にお勧めの車両が、このナシ20形24号車です。現在は車両の中でお弁当を食べることができるお店になっています。車両は動きませんがちょっとだけでも食堂車で食べている気分を感じることができます。
 ナシ20形は寝台特急「あさかぜ」の登場にあわせて誕生しました。広い幅の車体を生かして合計40席が設置されました。いろいろな器具の電化により、厨房が完全電化されました。内装は製造した会社により違い、その点においても特徴を持っていました。最終的にナシ20形は36両が製造されました。この24号車は1978年に引退し、1980年から旧交通科学博物館の館内食堂として、博物館の閉館まで営業していました。

その2、その3、その4へと続く...

◆ 京都鉄道博物館の車両のすべて その2

◆ 京都鉄道博物館の車両のすべて その3

◆ 京都鉄道博物館の車両のすべて その4

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