京急新1000形フルノッチ

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京都鉄道博物館の車両のすべて その4

文・写真 ● 洛星中学・高等学校鉄道研究会 会誌班
特別協力 ● 京都鉄道博物館の皆様

トップ写真

Web版制作にあたって

 実際の製本版「FULLNOTCH No.5」においてはこの記事「京都鉄道博物館の車両のすべて」は大変ページ数が多く、Web版編集作業が1つのページでは困難と判断し、またご覧いただく方の見やすさなども考えて、4つのページに区切っております。その1はプロムナード、その2は本館/車両工場、その3はトワイライトプラザ、その4は扇形車庫とさせていただきました。
 ご覧いただく方にはページの移動等、大変ご迷惑をおかけしますがご理解、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

δ 扇形車庫編

扇形車庫

 京都鉄道博物館に展示されてある蒸気機関車の大半はこの扇形車庫に入れられています。その扇形車庫は国の重要文化財に指定されており、耐震化工事などは受けているもののほぼ作られた当時の原型を保っています。そしてなんといってもこの博物館には8両もの動態保存機があるということです。ここでももれなく全ての車両を紹介していきます。

7100形7105号機[車両No.34]

●製造場所:HKポーター社(米)  ●製 造 年:1880年  ●備考:鉄道記念物・動態保存機

7100形7105号機

 北海道の幌内鉄道が1880年に輸入した蒸気機関車が、この7100形7105号機です。導入された当初は形式の区分がなかったのですが、1906年に幌内鉄道が国有化された際に7100形と呼ばれるようになりました。カウキャッチャーやダイヤモンドスタックと呼ばれる煙突となど車両の様々なところに特徴があり、導入された8両のうち6両に「義経」「弁慶」「比羅夫」「光圀」「信広」「しづか」と歴史上の人物の名前が付けられました。
 「義経」は1925年にテンダー式蒸気機関車からサドルタンク式機関車に改造されましたが、1952年に鷹取工場にて原型に復元され、1991年に京都鉄道博物館の前身である旧交通科学博物館に動態保存されました。

8620形8630号機[車両No.35]

●製造場所:汽車製造  ●製 造 年:1914年  ●備考:準鉄道記念物・動態保存機

8620形8630号機

 1914年から1929年の15年にわたって687両が製造された8620形は日本で初めて本格的に量産された旅客用の蒸気機関車として有名です。当時日本に輸入されていた機関車を参考に、国産技術を確立させたほか、幹線からローカル線まで対応できる性能を持っていました。主に幹線の急行列車で使用されていたほか、お召し列車の専用機にも指定されました。蒸気機関車の世代交代が始まると、地方へ転出し、全国各地で活躍するようになりました。「ハチロク」の愛称で親しまれ、1975年に最後の1両が廃車になるまで長い間、日本の歴史を駆け抜けてきました。8630号機は東北地方で運用された後、1972年に動態保存されました。

C62形2号機[車両No.36]

●製造場所:日立製作所  ●製 造 年:1948年  ●備考:準鉄道記念物・動態保存機

C62形2号機

 C62形はD52形の改造を名目として49両が製造されました。この2号機には自動で石炭を入れることができる装置を搭載していましたが、中国の満州鉄道向けの在庫品を使ったため、サイズが大きすぎ、エンジンは炭水車に収容されています。なおこれは後に標準仕様に交換されています。1951年には特急「つばめ」の牽引機の証として、「スワローエンゼル」と呼ばれるステンレス製のつばめマークが取り付けられました。

C61形2号機[車両No.37]

●製造場所:三菱重工業  ●製 造 年:1948年  ●備考:準鉄道記念物・動態保存機

C61形2号機

 D51形機関車のボイラーを用いて、33両製造されたのがこのC61形です。ボイラーはD51ですが、足回りはC57がベースのため、従台車を1軸増やしてハドソン式と呼ばれる軸配置を日本で初めて採用しました。
 将来的にローカル線への転属なども考えて、取り付けピン位置の変更で従台車の軸重が変更できる仕組みとなっていましたが、実際に施工されることはありませんでした。(写真は検査中だったため、このような写真となっています。)

C62形2号機[車両No.38]

●製造場所:鉄道省浜松工場  ●製 造 年:1938年  ●備考:準鉄道記念物・動態保存機

C62形2号機

 現在、SL第2検修庫で全般検査を受けているのが、このD51形200号機です。今は走る姿を見ることはできませんが、来年には本線走行している姿を見ることができる予定となっています。
 この200号機はD51の中では「標準形」と呼ばれ、給水温め機が煙突前に設置されていて、軸重の配分が変更されているのが特徴です。主に東海道本線や中央本線で活躍し、1972年から梅小路にて動態保存され、SLスチーム号の構内運転で活躍しています。本線運転に復活後は一体どのような姿を見せてくれるのでしょうか??

C57形1号機[車両No.39]

●製造場所:川崎車輛  ●製 造 年:1937年  ●備考:準鉄道記念物・動態保存機

C57形1号機

 もともとはC55形を増備するために製造するはずでしたが、ボイラー圧力の向上を含め至る所に改良が行なわれたため、新形式の「C57形」が誕生しました。このC57形は四国以外の日本全国で活躍し、「シゴナナ」や「貴婦人」の愛称で親しまれてきました。
 1号機は東北本線や羽越本線などで活躍後、梅小路蒸気機関車庫に動態保存され、1979年からは山口線の新山口~津和野間で運行されている「SLやまぐち号」の牽引機として現在も活躍しています。(写真は山口線で走るC57-1です。この時は下に紹介しているC56形160号機との重連運転を行っています。※FULLNOTCH No.2より)

C56形160号機[車両No.40]

●製造場所:川崎車輌  ●製 造 年:1939年  ●備考:準鉄道記念物・動態保存機

C56形160号機

 C56形はローカル線向けに小型かつ軽量で、またある程度の長距離運転を可能とするためにタンク式のC12形をベースに燃料の搭載量を拡大する形で登場しました。後ろ向きに運転する場合を考慮した、炭水車の側面を一部切り取ったような形が特徴です。
 この160号機はC56形の最終号機で、「ポニー」の愛称で北海道や関西でも活躍し、梅小路にて保存され、現在は北陸本線で運転されている「SL北びわこ号」の牽引機や「SLやまぐち号」の重連運転時の補助機関車として活躍しています。

B20形10号機[車両No.41]

●製造場所:立山重工業  ●製 造 年:1946年  ●備考:準鉄道記念物・動態保存機

B20形10号機

 B20形は写真をご覧ただいたらお分かりいただけるようにプレートが機関車から飛び出すほど小さな機関車です。戦時中に設計したため、資料節減と構造簡素化され、大変牽引力が小さく本線などでは運用できないため、主に構内で活躍しました。
 この10号機は1946年に製造された後、姫路や鹿児島で構内入換機として活躍後、1972年に梅小路に動態保存され、一時は静態保存になりましたが、2002年にボランティアの協力を得て、再び動態保存となりました。
 時々B20形10号機は梅小路運転区内で構内運転を行っていますので、京都鉄道博物館に訪れた際にもし運が良ければこの小さくてかわいいB20形10号機の試運転を見ることができるかもしれませんよ。(どうしても見たい場合は動画サイトなどでご覧ください。)

1070形1080号機[車両No.42]

●製造場所:タブス社(英)  ●製 造 年:1901年

1070形1080号機

 1070形はイギリスから輸入した6200形、6270形と呼ばれるテンダー式の蒸気機関車をタンク式に改造して誕生した蒸気機関車です。6200形は幹線の旅客用として活躍していましたが、1070形に改造後は視線や入換用として活躍していました。
 この1080号機は1926年に改造して誕生し、岐阜県の美濃太田機関区で活躍後、1939年から日鉄鉱業にて鉱石輸送に使用されました。1979年に引退した後は、専用の車庫で保管されていましたが、恒久的な保存を強く望んでいた日鉄鉱業がJR西日本に寄贈を申し入れ、梅小路での保存が決定し、2009年から梅小路にて保存されています。

9600形9633号機[車両No.43]

●製造場所:川崎造船所  ●製 造 年:1914年  ●備考:準鉄道記念物

9600形9633号機

 9600形は国産で初めて本格的に量産された貨物用の蒸気機関車です。貨物を牽引するためにはエネルギーが通常より必要になることから、火室を大枠の上に載せる構造がとられましたが、重心が高くなることから高速運転には向きませんでした。しかしながら、使い勝手いいということで14年の間にD51に次ぐ770両もの車両が製造されました。9600形は全国各地で活躍し、「キューロク」や「クンロウ」などの愛称で呼ばれました。最後は北海道の追分機関区で入換機として3両が1976年まで活躍し、国鉄最後の現役蒸気機関車として引退しました。
 ちなみにですが、1967年のNHK朝の連続テレビ小説「旅路」の撮影にこの車両が使われたことから人気になったということで、梅小路での保存機に選ばれたという経緯があるそうです。

C11形64号機[車両No.44]

●製造場所:川崎車輌  ●製 造 年:1935年  ●備考:準鉄道記念物

C11形64号機

 C11形は支線や都市近郊の区間運転を目的として設計・製造されました。C10形を基本に軸重制限の厳しい路線にも使用できるよう、溶接工作などを工夫し、C10形よりも軽量化することに成功し、大幅に使用可能路線が拡大しました。コンパクトで大変使いやすいことから、381両が製造され、西日本を中心に時には旅客輸送、時には貨物輸送、時には入換といろいろな場面で活躍しました。
 64号機は、製造後は湊町機関区(現JR難波駅付近)に所属し関西本線で活躍した後、北海道に移籍し、深川、野付牛(現北見)、室蘭、函館と移動しながら道内の旅客と貨物の両方に携わりました。
 1944年に本州に戻り、宮古や仙台、会津若松と再び移動しながら全国各地で活躍し、梅小路へとやってきました。

C62形1号機[車両No.45]

●製造場所:日立製作所  ●製 造 年:1948年  ●備考:準鉄道記念物

C62形1号機

 梅小路/京都鉄道博物館には先ほど紹介した「C62形2号機」が動態保存されていますが、C62形の1号機もここに保存されています。C62形は戦後に急増した旅客需要に対応するために、余剰となっていた貨物用のD52形のボイラーとC59形の下回りを組み合わせて作られた機関車です。D52形の大きなボイラーを使っているため先述のC61形同様ハドソン型と呼ばれる軸配置にして軸重を上限以内に抑えています。
 1号機はC62形の1号機として広島を中心に山陽本線で試験が何度も繰り返され、特急「つばめ」「はと」のスピードアップ化に伴い東海道本線に移動し、特急の牽引機として活躍しました。東海道本線の電化によって、再び広島に戻り、特急「かもめ」や夜行特急「あさかぜ」「さくら」などのブルートレインの牽引機としても運転されましたが、山陽本線の電化によって廃車となりました。

D51形1号機[車両No.46]

●製造場所:川崎車輌  ●製 造 年:1936年  ●備考:準鉄道記念物

D51形1号機

 D51形は蒸気機関車といえば「デゴイチ」というぐらいポピュラーな蒸気機関車です。D50形の後継機として、基本設計は踏襲するもののC11形と同様、ベースの機関車より軽量化を図っており、重量や全長がコンパクトになり、使用できる路線が拡大しました。戦時の貨物需要の拡大とともにこのD51形は国内最多の1,115両が製造され、国内のほぼ全域で使用されました。
 この1号機をはじめとする初期形は煙突や給水温め器、砂箱がドームのように一体に覆われていて、貨物機という少し重たいイメージがある中、やさしい表情を与えた設計になっています。そんな形から「なめくじ」のニックネームが付けられました。ちなみにですが、22号機と23号機は運転台までドームが伸びているため「スーパーなめくじ」と呼ばれていたそうです。

C55形1号機[車両No.47]

●製造場所:川崎車輌  ●製 造 年:1935年  ●備考:準鉄道記念物

C55形1号機

 C55形はC54形の改良型で、C11形での技術を生かし、電気溶接を多用し、蒸気溜めと砂箱を一体のカバーにするなどシャープで近代的な外観となっています。後継機のC57形の登場までに62両が製造され、内20両はC53形43号機で試作された流線型が本格的に採用されました。しかし、思ったような効果がほとんど得られず、給炭などに時間がかかるため、後に標準的なスタイルに戻されています。
 この1号機は小樽築港に配置され、苗穂、下富良野(現 富良野)、旭川、室蘭と北海道各地で活躍していました。車両は北海道の寒さに対応するために極寒地仕様になっており、キャブの密閉化や、もしメインのライトがつかなくなった時のために写真の左側に予備灯が設けられています。

C58形1号機[車両No.48]

●製造場所:汽車製造  ●製 造 年:1938年  ●備考:準鉄道記念物

C58形1号機

 C58形はローカル線の旅客輸送兼貨物輸送のテンダー式蒸気機関車として登場しました。テンダー式の蒸気機関車としては唯一軸配置がプレーリー形と呼ばれる配置になっているのが特徴です。旅客用8620形、貨物用9600形と同等の性能を備えており、汎用性が高く、431両が製造されました。主に千葉や和歌山、四国で活躍し、「シゴハチ」の愛称で知られていました。
 この1号機は千葉で用いられた後、北海道の北見区に移動し、石北本線を中心に準急(後の急行)の牽引などを行っていました。梅小路に移動後は、C57形1号機とともに復活し、「SLやまぐち号」の牽引機として活躍しましたが、1984年に引退し、車籍を失いました。

D50形140号機[車両No.49]

●製造場所:日立製作所  ●製 造 年:1936年  ●備考:準鉄道記念物

D50形140号機

 D50形は登場当初は9900形と呼ばれていて、9600形の後継機として登場しました。380両が製造され、9600形より大きなボイラー、シリンダーを採用して高速運転を可能にしました。しかし、世界恐慌の影響により貨物需要が減少したため、D50形は製造を打ち切られました。製造された機関車は四国を除く全国で活躍し、東海道・山陽本線はもちろん東北、常磐、信越、北陸各本線で活躍したほか、北海道や九州での石炭輸送にも貢献しました。また一部の車両は従台車を2軸に増やし、軸重を軽減した上でD60形に改造を施されました。
 この140号機は梅小路、糸崎、岡山、姫路、吹田と移動しながらも東海道・山陽本線から離れることなく使用されました。晩年は九州に転属し、前述の通り石炭輸送や旅客輸送にも用いられましたが、1971年に引退するとともに、D50形としての歴史にも幕を閉じました。

D52形468号機[車両No.50]

●製造場所:三菱重工業  ●製 造 年:1946年  ●備考:準鉄道記念物

D52形468号機

 D52形はD51形をベースにしつつ、ボイラーを可能な限り大きくする一方で、戦時中の設計のため工程の簡略化が図られました。そのため、デフレクタや歩み板と呼ばれる部分が木材で作られており、また煙突やドーム覆いなども簡略化されたり、工作が劣悪であったりしたため、思うような性能が十分に発揮できず、1946年に285両が製造したところで打ち切りとなってしまいました。
 その後、戦後の貨物需要は減少し、機関車が余剰となったためC62形にボイラーを転用したり、従台車を2軸にして軸重を軽量化してD62形に改造されたりしたものもありました。
 この468号機は当初は沼津に配置され、その後吹田、姫路と東海道・山陽本線で活躍し、北海道に移り五稜郭を中心に活躍しました。一度、土砂崩れにより脱線してしまい、廃車の危機にありましたが、C57-1同様ラッキーナンバーな機関車ということで保存が決定しました。

C59形164号機[車両No.51]

●製造場所:日立製作所  ●製 造 年:1946年  ●備考:準鉄道記念物

C59形164号機

 C59形機はC53形の代替機として設計され、ボイラーはD51形、足回りはC57形をベースに製造されました。高いランニングボートと長いボイラーが特徴で、ゆったりとしたそのスタイルは最後のパシフィック機として、東海道・山陽本線の特急や急行の牽引機で華やかに活躍しました。しかしながら、各線区が電化されるにつれて、C59形は活躍の場を失い始めました。その大きさ故に、地方路線にも転用できず、一部車両は従台車を2軸に増やして、軸重を軽減したC60形に改造されたものの、早い段階から廃車が始まったC59形は1970年までには全車廃車となりました。
 この164号機は製造後梅小路に配置され、後に糸崎に移動した後、山陽本線や呉線で活躍しました。廃車直前に奈良に移動したものの他の機関車よりあまり移動していないのが特徴で、またあまり改造もされてもおらず比較的原型をとどめています。

C53形45号機[車両No.52]

●製造場所:汽車製造  ●製 造 年:1928年  ●備考:準鉄道記念物

C53形45号機

 C53形は客車の鋼製化、大型化が進む中で機関車の牽引力不足が心配され、当時外国では実用化されていた3気筒室を採用し、97両が製造されました。しかしながら、新機軸ということで設計上の問題と複雑な機構により車両を整備していくのは困難なため、故障が多発し、さらには戦時中の酷使と整備不良により1950年までに全車が廃車となりました。
 45号機は梅小路に配置され、姫路、宮原と移動した後再び梅小路に戻り、戦後に廃車となりました。しかしこの45号機は運よく吹田教習所に保存されていて、1961年の大阪交通科学館開館の際に、移転復元されることとなり、移転時に吹田~鷹取間で復活運転を果たしたラッキーな蒸気機関車です。

C51形239号機[車両No.53]

●製造場所:汽車製造  ●製 造 年:1927年  ●備考:準鉄道記念物

C51形239号機

 C51形は最高時速100kmと高速性を追求し、狭軌としては当時世界最大の1,7500mmの動輪が採用され、その後の蒸気機関車の標準規格にもなり、289両が製造されました。登場当初は18900形と呼ばれていました。高速性能を生かして「燕」牽引機としても活躍しました。後継機の登場により活躍の場を地方幹線へと移し、1966年までに全車が廃車となりました。
 この239号機は品川に配置されると、お召し列車の専用機にも指定され、1928年から1953年まで104回にわたってお召し列車を牽引しました。その後EF58形61号機にその職を譲り、直江津、新津に転属し、各線区で活躍後、1962年に廃車となりましたが、歴史に残る名機として新潟鉄道学園にて保存されていました。新潟では教習用としてボイラー内部が見られるよう切断されていましたが、梅小路で展示するため、元の姿に戻されました。



<京都鉄道博物館 展示車両内訳>

施設別
  α プロムナード…12両 β 本館+引込線…15両 γ トワイライトプラザ…6両 γ 扇形車庫…20両
計 53両

車両種別別
  Ⅰ 蒸気機関車…23両(内、動態 8両、静態 15両) Ⅱ 電気機関車…5両 Ⅲ ディーゼル機関車…2両
  Ⅳ 新幹線電車…6両 Ⅴ 電車…5両 Ⅵ 気動車…1両 Ⅶ 客車…9両 Ⅹ 貨車…2両
計 53両

<参考文献>

・京都鉄道博物館 公式ガイドブック ・JR西日本 梅小路100年史

<特別協力>

・京都鉄道博物館の皆さま ・JR西日本 梅小路運転区の皆さま



◆ 京都鉄道博物館の車両のすべて その1

◆ 京都鉄道博物館の車両のすべて その2

◆ 京都鉄道博物館の車両のすべて その3

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